2005/01/23 12:02
事実を書き記しておきたい -産経新聞-談話取材について
番組改変についての朝日新聞とNHKの問題が、次第に泥仕合的な色合いを帯びてきて残念ですが、談話取材というのは、えてして、真意が伝わらないものです。僕も、最近の例では昨2004年(平16)12月21日、産経新聞(東京印刷)社会面『東京駅-進む復元と周辺再開発 「伝統」「独創」の始発駅 22年度「丸ドーム屋根」完成』の記事に談話が載っているのですが、話した主旨と、引用部分は、まったく違っています。記事は、
20日で開業から「満90歳」を迎えた東京駅。赤レンガの駅舎は震災、戦災にも負けず、高度成長期から何度も浮上した高層ビル化計画の波にものみ込まれず、生き延びてきた。駅周辺は先進都市へと変貌しつつあるが、平成22年度にも建設当時の姿に復元される。新旧のコントラスト。それが駅の未来像だ。
とのリードで始まる。まず「◆空襲で一部焼失」の小見出しをたてて、歴史を。
次に「◆長生き赤レンガ」の後半、次のように記されている。
‥‥63年に永久保存が決まり、平成11年には復元計画が固まった。JR東日本が約500億円をかけて創建当時の丸ドーム屋根に戻すというもので、22年度の完成を目指す。合わせて駅から皇居までの行幸通りなども整備される。
「駅は大正時代以降の東京を見続けてきた生き証人みたいなもの。これからも“長生き”してほしい」。「東京ステーションホテル物語」などの著書があるレイルウェイ・ライターの種村直樹さん(68)も、シンボル復刻を待ち望む。
この後は、「◆立て替えラッシュ」の小見出しがはいって、結びとなる。
談話の部分で、『これからも“長生き”してほしい』は、そのとおりで問題なし。ところが記者の文章になっている『シンボル復刻を待ち望む』が困る。僕はいつも書いたり話したりしているように、米軍機空襲に耐え、物資不足の中で今の三角屋根に復元し、半世紀にわたって生き抜いてきた現東京駅を残してほしいと訴えているのだ。今の仮普請も耐用年限がきており、保存するにはドーム復旧と変わらないほどの費用がかかるようだけれど、ホテルの屋根裏に残る戦災の焼け跡もろとも生かしてあげるのが東京駅へのエチケットでもあり、歴史の評価だと信じている。
12月18日(土)夜、鉄道ジャーナル社の忘年会から帰ってくると、産経新聞のイトウと名のる記者(電話はケータイ)から自宅へ東京駅90周年のコメントが欲しいと電話がはいっていた。プッシュしてみると、駅舎復元の話が中心のようだったから捨ておけず、場所を事務所に移して約30分間話した。
現駅舎のままで保存の件と、空中権移転ではなく、物理的に東京駅構内の上の空間を活用したいという持論を述べたら、イトウ記者はきわめて熱心に聞いてくれたが、記事は先に引用したとおりだった。その後、連絡はなく、掲載紙も送られてこない。
談話取材を、話した内容の一部しか使わないのは珍しいことではないし、自分が取材する場合でも、こちらの都合で任意に使わせてもらっている。しかし、主旨を損なわないように気を使うのはイロハのイで、三角屋根の保存を願うのと、(ドーム駅舎の)"シンボル復刻を待ち望む"のとでは、まったく意味が違うではないか!
昨年12月21日の朝刊を見たときは、産経新聞社に抗議しようと思ったものの、忙しかったのと、深刻な問題でもないため、そのままにしてしまった。ところが、4年前のトラブルで論争になるのを知り、事実を書き記しておいたほうがよいとの心境になった。"三角屋根保存論"から"ドーム復元"へ転向したと思われても業腹だし。